昨日「世田谷時代1946-1954の岡本太郎」展を見てきた。
本展は、岡本太郎が大陸から復員し、上野毛のアトリエで制作活動を開始した1946年から、現在岡本太郎記念館になっている青山のアトリエへ移るまでの世田谷時代に焦点を当てている。 この頃には有名な「森の掟」や「重工業」なども制作されており、戦後の復興を目指す日本の状況とシンクロするように、「毎日が全力ダッシュ」みたいなガムシャラさというか、「やってやる!」という迫力が作品からほとばしっている。 同時代のアヴァンギャルドの画家の作品も展示されているのだが、その中で岡本太郎だけがやけに目立つ。他の作家の作品は概して形式の冒険みたいな風情なのに対し、岡本太郎のは本音の分厚い圧力に満ちている。とにかくほとばしっているのである。確かに色使いや造形センスによる部分もあるが、そもそもの根本姿勢が違うという気がする。 極めて形式的かつ雑な分け方をすると、アヴァンギャルドが頭脳的なのに対して、岡本太郎は生命的な感じである。シュルレアリスムのような非合理の主張も、合理に対する「頭脳的」反逆であって、その根底には論理や懐疑といった悟性の働きがある。論理性や矛盾への目配りを悟性的保身の体系だと言ってよければ、アヴァンギャルドもその域を出ないのではないか。 だが、生命はどうだろう。生命は懐疑するか? 生命は矛盾を恐れるだろうか? 生命はただ生きようとするだけである。その絶対的自己肯定性が現実世界の抑圧に対する自由の要求として、岡本太郎の絵の中で唸りをあげているように見える。 という私の空想はさておき、「森の掟」をイイと思える人にとって、本展はオススメだと思う。当時の岡本のエネルギッシュな作品を沢山見ることができるから。 世田谷時代1946-1954の岡本太郎 戦後復興期の再出発と同時代人たちとの交流 会期:2007年3月24日(土)〜5月27日(日) 場所:世田谷美術館
by Y-Nagayama
| 2007-05-26 01:04
| アート
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